Just do it 行動しないことで発生するリスク
「最も大きなリスクは、何もしないことだ」ということについて最近よく考える。
世の中には何も新しいことをしようとせずにもっと幸せになりたいと思う人が大勢いるように思う。たとえば与えられた仕事だけを無難にこなし、限られた自由な時間でさえとくにやりたくもないことを繰り返して暇つぶしをしているような生き方だ。何も新しい行動を起こさないなら現状に満足すべきだ。毎日畑を耕し、休養し、季節に数回の祭りを楽しむような「足るを知る」の精神を見習うべきだ。なのに彼らは現状に漠然とした不満を抱き、口を揃えて以下のようなことを言う。
- 「忙しすぎて時間がない」
- 「なにもいいことが起きない」
- 「仕事がつまらない」
- 「あいつのせいで何も出来ない」
- 「やりたいことはあるけど失敗しそうでできない」
- 「怖くてできない」
- 「会社が給料を上げてくれない」
- 「いい仕事がないかな」(そして探さない)
- 「いい人が現れないかな」(そして探さない)
- 「会社をつくるなら俺を雇ってくれ」(でもとくに何かをしたいわけではない)
彼らに共通して言えることがある。彼らは何も新しいことをしようとしない。変化が向こうからやってくるのを待っているだけだ。他人がなにかしてくれるのをずっと期待しているんだ。
たしかに新しいことをやるにはいろいろな障害が発生するし、失敗の可能性もつきまとう。やろうとしていることが本当に正しいかなんてわからない。
でもやってみなければ一生わからないんだ。やってみてだめなら、次がある。やらないことにあれこれ理屈をつけるようなことは、たいてい取り返しがつくようなことだ。収入が減る?欲しいものが買えなくなる?時間がなくなって好きに遊べなくなる?失敗が恥ずかしい?それがなんだってんだ。新しいことに挑戦することで得られる価値はそんなものでマイナスになったりはしない。失敗したって得るものはある。むしろ失敗したときにしか得られないものもある。「このやり方はだめだった」という経験だ。そしてその失敗で起きた問題を解決しようとした経験だ。これはとても貴重だ。成功だけではぜったいに得られない。
つまりはこういうことだ。新しいことは成功すれば経験と報酬という価値を得られるし、失敗しても貴重な失敗経験という価値を得られる。そう、新しいことをすることは結果がどちらにころんでもおいしいんだ。そして新しいことをしなければ、価値あるものは得られないだろう。価値あるものを得られることと得られないことを比較すれば、行動しないことがいかに将来的にリスクが高いことか理解できると思う。
Just do it. とにかく行動。何もしないよりかはぜったいにマシ。
与えられた仕事だけをこなし、限られた自由な時間でさえいつでもできるようなことを繰り返しすることの大切さを学んだほうがいいと思いますよ。
誰もが誰も、新しい事ができるわけじゃない。新しくて面白い事をやれる人は本人の意志と、才能と、努力と、運と、そしてやはり仲間が必要です。
毎日畑を耕し、季節に数回の祭りを楽しむ。この生き方に満足しているならそれでいい。
なんかあなたの言いたい事がこの一言に集約されてる気がします。どこかでそういう人たちを見下してませんか?
畑を耕す人がいなくなるとおそらく全員が困ります。もうちょっと「何か」してると自負する人は考えたほうがいいです。
何かできるってことは、その「何もできない人」の上で行ってることも多いにあります。
実際、何も行っていないひとなんてほんの一部で、多くの人は、なんだかんだいいながら社会に貢献できていると思います。
正直に申し上げますと、畑を耕すことをつまらない人生の一例にしてる時点で視点が狭いと感じました。私は食料を作れる人は最高にクリエイティブだと思います。
そして、逆説的に、このエントリーは、実は何もしてないのにさぞかし「何か」をしてる気になってる人がいる事を示す例だと思いました。
新しい事をしてるという誇りは結構ですが、どうか(一見上)新しい事をやっていないというだけで、単調な作業を繰り返す人を見下すのは辞めて頂きたい。
おそらく言いたい事は「生産的にいこうよ」
「チャレンジしようよ」ということだと思うのですが、どうも「見下し感」が気になりましたのでコメント差し上げます。
失礼致します。
>書捨御免さん
見下したりはしていませんよ :-)
仰っていることはまったく同意します。否定されるような文面ですが、結果として私の考えを肯定して頂けているので嬉しい限りです。
これは「現状に不満をもっていて状況を変えたいんだけど、何もしようとしない」方々へのメッセージです。現状に満足されている方々は素晴らしいです。とても今の私には到達できる精神ではありません。
> 食料を作れる人は最高にクリエイティブ
当然ですね。
> 畑を耕すことをつまらない人生の一例にしてる時点で視点が狭いと感じました。
真逆です。畑を耕すことはとても奥が深く、これに従事している方々を私は深く尊敬しています。
こんなふうに思われてしまったということは、まだまだ私の文章力が足りませんね...申し訳ありません。
> 何もできない人のうえで成り立っている」
認識しています。できることならこんな状況は変えたいですね。
とても困難なことですが、私が関係する人たちだけでも自立してほしいです。
頂いたご意見をもとに、エントリ本文を推敲させていただきました。いくらかは誤読の可能性が下がっていると思います。
ありがとうございました。
まさか
おいらのブログにささげる言葉じゃないよなぁとか思ってみたり。。。んなわけないかw 失礼しますた m(_ _;)m
Just do it 行動しな...
行動しないことで発生するリスク
最近、私が良く考えることと同じようなことを、頭の中で素晴らしく整理してブログに書...
まさにあなたの文章の対象者なわけですが、
ありがとう。勇気でたよ。
あきやんさんの弁と書捨御免氏のコメントで一つの論ですね。
自分は一時期あまりの仕事量に忙殺され、なけなしの趣味の世界ですら仲間たち?に置いてきぼりを喰らって、本気で逐電しようかと考えたことがあります。
負のjust do it!ですね。
仕事はおろか町(郷里)をも捨てて、根無し草で生きていこうなどと・・・。
それを思いとどまれたのは、休みもまともにとれない職場で初めての2連休を(無理をごり押しで)許可してもらったからです。
その日は予め満室(旅館をやってます)と知っているうえで、(だめ出しされても休むつもりで)宣言しました。
おかげで某バンドのファンの集いに初めて参加でき社会人になって以来の最高に充実した瞬間を満喫できました。
その後2ヶ月ほど無休で働きましたよ。
甚だ冗長な文で恐縮ですが、変わらない日常を打破するのは自分であり、また同時に周りの(何かをできない・しない人たちの)協力があってこそ成り立つのだと!
あきやんさん、同感です。
大変簡潔にまとめられていて読みやすいです。
書捨御免氏の意見と対になりますが、双方どちらが上か下かということではなく、世の中の人にはすべからくこれを選択できるということが素晴らしいことですね。
感銘しました。
自分は最近ようやく目が覚めたように、失敗しても良いから現状を打破し、少しでも良いから動き出そうとしている23歳の男です。
私自身がそうだったのですが。
健康であり、借金も無く、他に何かのしがらみを持っていないのに、現状に満足しておらず、それなのに決して動こうとせずに、自己の不平を他に擦り付ける行為をすることで自分を満足させている人間。
こういう生き方をしていると、どこかで必ず、何年先か何十年先か分かりませんが、その歪みが必ず自分に復讐してくると思います。
現状が楽しければ良い、という考えは悪いモノではないと思います。
好きに生きる自由が、少なくともこの国では許されているからそう思います。
だけれど、現状を変える努力をしていなかったにもかかわらず、そうなった責任を一番負うべき存在が自分であると見失ってしまうことは間違いだと思います。
日々を平穏に暮らす、それは素晴らしいことだと思います。
現状に満足していれば、同じことの繰り返しだろうと人は幸福になれると思います。
でもそうじゃない人間は、妥協せずに動くべきだと、そう確信しています。
駄文で失礼致しました。
こういうことを言いながら、マルチにはまり、しつこく勧誘してきた人が身近に居ますので、私はあまり賛同できません。
借金で生活もままならず、友人もほとんどを無くし、彼は明らかに、取り返しが付きません。
ビジョン系マルチの勧誘や、オルグ活動などとそっくりだということも頭に入れておいてください。
>EMさん
マルチまがいについて。
マルチまがいでこういった自己啓発ぽいことを行う事例は数多く確認されていますね。私も実体験として経験があります。
マルチまがいには多くの問題があって批判されるところは沢山あります。ただしマルチまがいがこの理論を推奨しているからといって、この理論がマルチのような問題を持っていると決まるわけではありません。
「新しいことに挑戦する」ことを「野菜を食べる」に置き換えてみましょう。
「マルチまがいグループが野菜を食えと言っていた。マルチまがいの言うことは信用できないので野菜を食うことはどうかと思う」
こういうことになります。
要は、切り離して考えると言うことです。
極端な例でいうと、アドルフ・ヒトラーが結果として行ったことは大いに問題があったが、手法やカリスマ性自体は優れていたことを認めるということです。
現状として、マルチ業者や詐欺師は跋扈しております。
そういった考え方に説得され、安易にその気になるような人を食い物にする市場があるのです。副業として気軽に始められてしまうのです。
「何があっても人を信じましょう」と公言する人が居たとします。「軍備解体」でもいいでしょう。
いいことだと思いますが、現実を考えると、被害をこうむった側としてはひとこと言いたくなるのです。
行動目的論の観点から言いますと、
現状に不満がありながら、その現状に甘んじている場合、深層心理ではその現状に居ることが自分に一番メリットがあると判断している、ということなんです。
現状に不満なのに、私は何故行動できないのだ、と悩む必要は無く、
現状が自分の選択したベストの道だということをまず自覚し、それでも変えたいのなら自分を変える事が必要だと思います。
「自分を変えたから、実力が上がったから、それに見合う環境を探す」というのならば応援します。尊敬もします。
しかし、「現実逃避が動機の行動」をあまりよく思いません。楽な方向へ行きたがるからです。取り返しが付かないことが多いです。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、と言います。
落ち着いて周りを見て、成功者が居るのか、居るならどんなことをしてきたか、そしてそれを自分は出来るのか、堅実な人が幸せそうだった場合、何故そちらを目標としたがらないのか。
まず検討すべきです。行動はそれからだと思うのです。
>EMさん
まったく同意します。動機は大切です。エントリ本文にEMさんが言いたいことを含めてもよかったのですが、私の文章力とブログの特性を考慮した上であえて書きませんでした。ご理解いただければと思います。
>「忙しすぎて時間がない」
~
>「会社をつくるなら俺を雇ってくれ」(でもとくに何かをしたいわけではない)
これはどうかと思います。
私は四人兄弟で、両親が必死に働いているのを見てきました。
両親は自営業で自宅で働いていたせいか、
それこそ休日など無いかのように毎日徹夜をしていた姿を覚えています。
その頃は私は子供心に
「働いてばかりでつまらなそうだなあ。親のような仕事はしたくないなあ」
とこのサイトで言っているような
「やりたくないこと」、「新しい行動を起こさないこと」
という気持ちを持っていました。
けれど、今現在大人になり、会社で働くようになると両親のしていたことの偉大さが
痛いほど身に染みて分かってきています。
「やりたくないこと」、「新しい行動を起こさないこと」
というのは悪くないです。
嫌だからといってそれを放棄してしまえば会社は回らなくなってしまいますし、
養っている家族はすぐに生活が途方にくれてしまいます。
それを耐えている姿は逆に偉大だとさえ思えます。
何気ない両親との会話で
「宝くじが当たればなあ」
「お前、何か企業起こして成功してみせな」
などという言葉を聞いてもきましたが、それはただ両親が楽をしたいからではなく、
子供にはつらい人生を送って欲しくないとの思いも込められているのだと思い、
今はこの疲れて小さくなってしまった両親に
親孝行をしていかなければという気持ちで一杯です。
>通りすがり名無しさん
本当に忙しくてどうしようもないときは、あります。
新しいことをすることがどんなときでも正解だとは思いませんよ :-)
「忙しすぎて時間がない」
この台詞には背景があります。
通りすがり名無しさんのケースにはあてはまりません。
全てのケースを網羅すると言いたいことがぼやけてしまうので、あえて書いていないことを読み取って頂ければと思います。
うーん。現状満足!
ただ行動するだけ
かなえたい夢があるから、こうしてビジネスを始めてるけど、ときどきものすごく不安になることがあります。
本当に前進してるのか、これで正しかったのか、他...
環境に相対的な気が。
まー俺は人生楽しんでるよ。
変化も安定も、れっきとした人間の本能なんだし、ケースバイケースで選んだら良い。
それは置いといて
目先の損得や、恥をかきたくないとか感情的な理由で、新しいことにチャレンジしないのは損かもよ。って話じゃなかったの???
「無気力はいけない」
これが言いたいことの全てのような気がしました。。。
変化は確かに素晴らしいものですが、それ以上に現状維持というものは大変です。
例えば、入学した時に成績が学年で100番だった生徒が、卒業のときには30番になったとしましょう。
なるほど、この変化は素晴らしい。
そして何より派手で目立ちます。
きっとまわりの人からも褒められるでしょう。
ではもう一人、入学から卒業までずっと学年10番を維持した生徒がいたとしましょう。
非常に地味です。
もう彼は頭が良いのが当たり前です。
誰からも褒められません。
さて、果たして本当に頑張っていたのはどちらでしょうか。
『行動しない事のリスク』に対しては少し論点がずれていますが、現状維持のための苦労の存在も知っておいて欲しいです。
>名有りさん
私が考えるに、その人の考え方が重要だから、それが社会にどういう影響を与えているかは関係ないのでは? と思ってしまいます。
例えば、その学校では10位でももっと広い視野で見れば上には上がいるし、下には下がいる、その人が「俺はこの学校の10位で満足」と思っているならそれで良いですが、「何で俺は10位より上になれないのだろう?」と思いながらも、そこで詰まってしまっているのなら努力する方法が間違っているか、こういう言い方はどうかと思いますが自分をより高めることを怠けているのだと思います、あるいは評価する方が決定的に間違っているとか。
恐らくここで言いたいのは、何かしらの理由を付けて、本当は上に上がりたいのにそれを捻じ曲げて、例えば他の何かのせいにしてそれをしなくなってしまうことはリスクを伴う、と言いたいのだと思います、きっとそこに優劣は関係なくて、あくまで自己満足の世界という考えでは?
でも、まあ現状維持の苦労はもしかしたら上に上がる努力よりも時にはしんどいかもしれませんよね、地味な苦労をして、でもその辛さを周囲には愚痴ったりせず、自分を高める、そういう大人になりたいもんですよ。
勝手な推測の駄文で失礼しました。
私の文章力がないせいでうまく伝えられなかったようです。
>でも、まあ現状維持の苦労はもしかしたら上に上がる努力よりも時にはしんどいかもしれませんよね
ここが私の言いたい事のネックですね。
信念...&いつのまにか...
■Just do it 行動しないことで発生するリスク つまり「しない後悔より
>EM氏
マルチ商法まがいに引っかかる奴は問題外。
このエントリで書かれた「新しいことに挑戦する」ということに対して失敗を極端に恐れる余り「昔の友人を食い物にして自分だけがリスクなしに成功する方法」などという都合のいい話を信じ込んで、結果は自分が最も惨めに食い散らかされただけの話。自業自得。
大事なのは、「自発的な挑戦で失敗から得るものは次への宝である」ということだ。何も痛い目見ずにトントン拍子の成功を夢見るなんて甘い話は世の中に無いってことだね。結局、その現実から逃げなかった奴が最後は一番強くなれるってことだ。
私の結論から言うと、「とにかく行動を起こす」ということは、一概に正解とは言えないということです。
もちろん、失敗してもリスクがない事だったら、積極的にチャレンジすることは正解だと思います。
しかし、失敗した場合に多大なリスクを負うときは、例えそれが現状に満足していないからといって軽々しくチャレンジすることは正解とはいえません。特にそれが生活媒体に関連するものの場合、下手したら死んでしまうことだってあるのです。
では、そのリスクの大きい小さいの境目をどう判断すればいいのか?
リスクを計算するにあたって、大事なのが失敗したときの被害の大きさと失敗する可能性、成功したときの報酬です。
仮に成功したら1万円もらえるとして、99%成功する、しかし失敗したら死ぬ、このとき挑戦するかしないか?
99%成功するということは1%は失敗します。つまり100回に1回は失敗するということ。もし死ぬまで挑戦し続けたら平均99万円もらって死んでしまうということです。つまり、自分の命が99万円かどうかということです。
これに1回でも挑戦しようと思った人は自分の命が99万だと思っている人です。一回ぐらい大丈夫と思ったとしても、100人が同じことを思えば、確率的には確実に一人は死んでしまいます。
このように大事なことはリスクとリターンと確率です。もちろんこれらを正確に算出することはできないですが、挑戦する向上心があるならば、可能な限り、それに近い数字を調べる、計算することは当然のことだと思います。
「行動しないことで発生するリスク」は必ずしもあるとは思いません。無理な挑戦の場合、英断をもって現状維持にとどまるのは、リスクの回避につながります。
そもそもリスクとは何か行動を起こすことによって発生するものだと思います。行動を起こさないなら、ずっと±0です。しかし、人間が日々成長すると考えた場合、加点方式で現状維持の人間はおいていかれるのは明白です。
「頭がいい=見た目が悪い」という偏見、「実行力≒能力」という感覚。
そして「やる気がないのは本人の責任じゃない」ことについて。 俺も読んだよ、AERA’06.5.1-8 No.21合併特大号。「東大生の6割は美人であ...
行動しないことで発生するリスク
すばらしいエントリを見つけました。
Just do it 行動しないことで発生するリスク
「最も大きなリスクは、何もしないことだ」
皆さ...
行動しない:フォーカスCDでアフィリエイト -副業投資-
儲からないためのキーワードの1つ目として行動しないということが
あげられます。
全ての源泉は行動から生まれますので全く行動しなければ
何も生まれないとい...
確かにリスク計算や失敗したときの事後処理とかも含め、まともに物事を考えられる人だったら「やらなきゃ損」なのかもし。だけど、そこまでちゃんと考えられる人って少数派だよね。そういう人たちにとっては、何もしないこと(幸運がやってくるのを待つこと)が自分の利益を最大化する手段だったりするのかも。人間って結局、考え付く限りで自分の損になるようなことはしないんですよ。
抽象的なことばかり書くな。実際、具体的にお前が何してきてん。
行動することに対して怖がってましたが、参考になりました。ありがとうございます