ブログを書いて読む人がいる限り、RSSとRSSリーダーは無くならない
RSSはなくならない
Google Readerが閉鎖するからRSSは終わっただって?
大丈夫。RSSはなくならない。
そりゃ、インセンティブメリットが無ければ、RSSを核にした事業はビジネス的には回らないし、Googleリーダーに続いていくつかのRSSリーダーサービスが閉鎖するかもしれない。
RSSなんてそもそもがニッチな道具だ
そもそもね、RSSというのは、2002年頃からブログというフォーマットが流行り始めて、ブログの更新をやたら効率的に取得できる「RSS」っていうすげー便利なものがあるってことで、効率的なネット情報収集法を探し求めていたごく一部人たちが一斉に飛びついたものだった。もうぜんぜん最初からマス向けなんかじゃなくてニッチ層のためにあった。ちなみに僕も飛びついた。
だから、ブログをただ読むだけの人たちにRSSなんて普及なんてする気がしなかった。それでも「なんか便利にサイトの更新を知る方法ない?」って聞かれたら薦めてはいたけど、使い続けてくれることは少なかった。某IT戦士でさえ最近になってRSSリーダーを使い始めたというほどだ。
昔はブログしかなかったが、いまはソーシャルメディアだ
それでもtwitterやFacebookが無かった時代は、人々が何かを投稿する先といえばブログが一番で、ネット上でネットだけのコミュニケーションをするなら、ブログだった。そしてそのコミュニケーションのためには、RSSとRSSリーダーは欠かせないツールだった。RSSはブログと人をつなぐ媒体でもあったんだ。
今、何かをネットに流そうとするなら、まず開くのはtwitterやFacebookなどのソーシャルメディアだ。僕もそうだ。一時期ほんとうにブログを書かなくなった。だが、ソーシャルメディアは基本的にフローでストックされない。ソーシャルメディアではどんな投稿も等しく流れ去ることに、むなしくなった。
そこで最近は、ソーシャルメディアを開いて書きかけてしまうところまではもう諦めた。もし開いても、書ききったらいったん息をついて「これはブログに書ける内容かどうか」を判断して、投稿ボタンを押すかリマインダーの「ブログネタ帳」にコピペするかを選ぶようにした。これは今のところうまく回っている。僕は「ブログを書いてる人」に戻ることができた。
ブログの情報を媒介としてコミュニケーションするし、そのためにRSSは必要とされる
話を戻そう。ソーシャルメディアによって、ブログをやめた人の割合は、単なる肌感覚だけど、少なくとも半数以上だと思う。べつにそれはそれでいい。そもそも記事タイトルとそれなりの文章量が要求されるブログという重いフォーマットなんて、コミュニケーションを求めているだけなら、不要だったんだ。
だけども、ブログフォーマットはネット上に情報をストックし続けるための最良の方法のひとつだ。ブログを書く人がいて、効率的に読みたい人がいて、コミュニケーションも直接ではなくブログを媒介としたいと思う人のボリュームは一定以上はいる。そもそも昔に比べてネット人口の絶対数自体が桁違いだから、ブログを書く人の絶対数自体は、10年前よりは確実に多い。
だから多分大丈夫。ブログを書いて読む人がいる限り、RSSとRSSリーダーは無くならない。もし無くなるとしたら、RSSの要件を満たす新しい何かが生まれたときだ。
以上です。
以下、RSSへの熱い思いを感じた記事たち。あわせてどうぞ。
システム的な意味では確かに今のRSSは終わりゆくのだろうし新しいRSSに変わるようなプラットフォームを期待するけれど「いいよFacebookで」「いいよソーシャルリーダーで」ってのは俺も困る。だって勝手に情報まとめてるんだぜ。コンピュータがどんだけ俺のすきなもん知ってるんだよ。Amazonのリコメンド全部好きだった試しあるの?
つまり「RSSリーダーは終わった論」に私が感じる“話のあわなさ”というのは、それがマーケティングやテクノロジーの話に終始して、「知」に対するロマンの持ち方の問題にまで話が及ばないからです。
「RSSリーダーは終わった論」に思う、図書館の本をすべて読むことができた時代の伝説的司書・リチャード・ガーネットの話 : アルカンタラの熱い夏より
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