プロに必要なのはリスペクトだった
「プロにタダで依頼してもいい」という釣り気味なタイトルで、内容自体は「大丈夫な場合もある」という、どっちもどっちだよね的なエントリを書いたところ、「無償でいい場合なんてあるわけないよ!」というコメントを沢山頂きました。
あれで言いたかったのは「政治空間」と「貨幣空間」の違いだったのですが、政治空間の最たる家族などでも正当な対価をやりとりすべきと本当に思っているは、たぶん、少数だと思うので、いったいどういうことだろう?と不思議に思ったのですが、傾向としてあることに気が付きました。
ほとんどが「お金を払えとは言ってなかった」んです。
言っていたことは、無償の依頼が不快だ、失礼だ、この仕事をどれだけ軽くみているんだ、といった、「私の仕事に対してのリスペクトが欠けている」という「礼儀」の話をしていたのです。
「無償の依頼」とは、依頼される側から見たら「著しく礼儀を欠いた、ありえない行動のひとつ」ですから、それは、許せません。普段、プライドをもって仕事をしていて正当な対価をもらっているのに、いきなり不当な依頼を受けたら、ショックなことは想像できます。
そして、そういった「礼儀を欠いた行動」をしてくるのは、えてして友だちなどの政治空間の人たちなんですよね。僕も経験があります。
でも、「リスペクトが必要なんだ!」なんて、ふつうは直接的に言えません。そして「有償の依頼」にはリスペクトが含まれているので、ひとつの手段として理解できます。
ということは、無償の依頼に足りなかったのは、お金そのものではなく、例えば「本当はお金を払うべきところなんだけど、お願いできませんか」といった「リスペクトした(有償である前提の)言い方」だったんです。(他の手段もあるでしょう)
そういえば、依頼などではないですが、僕がある軽率なことをして、とあるプロと直接会って話したときに「あなたのやったこと自体はいい。問題は、リスペクトする態度がみられなかったことだ」と叱られたことがあります。プロ相手にリスペクトは決して忘れてはいけないことなのです。
コメントで散見された「じゃあ、あなたには無償の依頼をしまくってもいいってことなんですね」というのは、最初は極論に見えました。でも今は「無礼な依頼をしてもいいんですね。あなたもそういうことするんですね」と言っているように見えています。(そしてそれは、よくないです)
実際に依頼を受けることに関しての僕のスタンスは、自分の仕事を理解されてないことは普通にある前提でいるので、仕方ないときもあるよねぇ、と思ってます。あまりにも無礼だったり、理解してるであろう同業からとかはさすがに別ですし、リスペクトしてれば無償でもいいよって話ではないですよ念のため。
だって、僕だって世の中全ての仕事のことを理解してないですし、知らず知らずのうちにそういう無礼なお願いをしちゃってることはあると思うんです。無礼は避けるべきだけど、絶対には避けられないことで、お互い様なんじゃないかと。
あとひとつ言いたいは、有償であるべき(リスペクトすべき)かにプロかどうかは関係ないと思います。素人へ同じことを無償でお願いもしていいかっていったら、そうじゃないと思います。プロというプライドがそう言わせるのかもしれませんが、「プロだから」という前提にしてしまうと、素人のことを安くみているように見えかねないかな、、、と。(考えすぎならすみません)
どんな仕事でも、お互いの信頼の上で成り立つものです。
もし無償で仕事をやってもらうならば、相手がプロであれ、アマチュアであれ、守るべきルールがあると思います。
例えば、
・成果物の出来に不満を言わない。
・作業者の生活を破壊するような、本業に影響を与えるような仕事を振らない。
・追加の要求をしない。
・希望や仕様は最初に全部提示する。
…
このようなルールが守れず、要求がエスカレートしていくと、
互いに不信感が生じ、信頼関係は崩れてしまいます。
よく素人・一般人が
「プロなんだから簡単だよね」とか
「ここをちょっと変えるだけだから」とか
を簡単に言いがちです。
最初は気前良く引き受けてもらっていても、要求が重なる度に、作業者は不信感を募らせていきます。
不信感が爆発すると、作業放棄や無償の仕事は受けてもらえなくなります。
上記のルールを守れるならば、無償でお願いして、やってもらえばいいでしょう。
質や量に、ある程度の水準を求めるならば、外部の人に有償でやってもらうべきでしょう。
「プロ相手にリスペクトは決して忘れてはいけないことなのです」
これがなあ……。
「叱られたのでプロはリスペクトしましょう!」って態度に見えるんだよ。
本質を理解できてない気がする。また同じ原因で怒られないようにね。
リスペクトじゃなくてフリーライドが問題なのです。
本来有償であるべき行為を無償で提供させる事。
もっと言えば利益が移転する場合にこそ問題が生じると考えれば良い。
だからこそ家族や仲間内のような利益共同体内においては無償であっても
結果代替の提供や利益の共有が行われるからタダに見える場合がある。
しかし実際のところは貨幣を介していないだけで「償」に当たる部分は存在するし、
それがもしも無いのであれば提供者は不快感や被搾取感を感じることでしょう。
ゆえに利益共同体でも無い第三者が有償の行為を無償でせびることは
浅ましい物乞い行為として蔑まれるわけです。
他人が運営している食べ物屋で無料の飯を食いたければ土下座して
媚びるなりすべきなんですが、そのリスペクトがパーフォーマンスとして
物を与えるに足ると評価されるかどうかは与える側の価値観に依拠するわけで、
これも同じく利益の交換が行われています。
寄付も同じ。
利害やエンタメの評価として考えればこれも利益交換なのですよ。